Doing(すること)とBeing(あること)

Doing(すること)とBeing(あること)

現代は競争と比較の社会なので、美しい容姿、高い身体能力、学歴、地位や名声、財産を得ることに価値を置いています。

マインドは、今のあるがままの自分には価値がないと思っています。

そこで、自分の理想とする姿に向かってDoing(すること)をします。

しかしDoing(すること)をやり続ける限り、今ここにいられず、Being(あること)にくつろげないのです。

あるがままの自分では価値がないという考えは、外から植え付けられた考えです。
Doing(すること)の瞑想と Being(あること)の瞑想があります。

最初は思考を鎮めようと、 注意を呼吸に集中したり、 数を数えたり、 イメージしたり、 マントラを唱えたりと努力(Doing)します。
それが瞑想の最初の段階です。

今ここに集中することで、 停滞していたエネルギーが上昇して、 歓喜したり、 光に包まれたりします。

それが、マインドの努力(Doing)で起きるサマーディ(瞑想の境地)です。

マインドが努力して起こした瞑想の境地は、 努力をやめると、どんなに素晴らしい境地でも消えてしまいます。

そしてマインドは、その素晴らしい体験に執着し、追い求めて(Doing)しまいます。

マインドは今ここ(Being)にいられません。

それとは別に、マインドの努力なし(Being)に起きるノーマインド(沈黙)のサマーディがあります。

これを聞いたマインドは、「努力をしなくてもいいんだ」と考えます。 今度はマインドが自己納得して、思考の罠にはまります。

沈黙とは、思考を静かに落ち着かせることではありません。

マインドが静かであってもなくても、沈黙とは関係がありません。

沈黙とは、沈黙が主体となって思考に気づいている状態です。

ノーマインドとは、努力することなく沈黙が起きている状態です。

努力してもしなくても、マインドと同化しているうちは、マインドの次元を水平移動するだけなのです。

マインドと同化しているうちは、沈黙に気づけません。

マインドは今ここにいられないので、常にDoing(すること)をしてしまうのです。
最初は、努力を超えるまで努力を続けます。

できる限りの努力を続けることで、沈黙への準備が整います。 沈黙は努力のみでは起きないので、辛抱強く待たなければなりません。

そしてある日、自然に努力が落ちて、沈黙に気づくのです。

「私」というやり手がいないとき、沈黙が訪れます。

それは、存在からの恩寵(grace)ともいうべきものです。

沈黙が、本当の自分です。

何十年も修行したり瞑想したりしたことのない普通の人にも、沈黙は起きます。 容姿も、職業も、学歴も、教養も、勉強した年数も修行した年数も関係ありません。

瞑想歴やスピリチュアル歴が何十年だと誇っても、関係ないのです。

覚醒・目覚め・沈黙は、誰もが生まれたときから自然に備わっている自己の本質です。

それは最初からいつも、目の前に当たり前にあります。

あまりにも普通にあるために、かえって気がつきません。

ですからマインドが確信するまで、探求を続けなければならないのです。


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